コーネリアスのこと

年末のコーネリアスDOMMUNEアーカイブ視聴して以来、コーネリアス作品を聴き返しているのですが、オレ「Point」以降(Point自体も)はまともに聴いてなかったんだなーと気付かされるとともに「ファーストクエスチョンアワード」の良さに打ちのめされる2022年の始まりです。
番組内では「ファンタズマ」「Point」とそれ以降の評価が著しく高く、1stや「69/96」はほぼ黙殺なのに驚き。。。(69/96も好きなんだがデータにしてない(CDあるかしら……)しかもサブスクにないのにも驚愕。無かったことにしてるのかい……)

番組はもちろん例のオリンピック関連の一連の騒動の総括が中心だったので、私もモヤモヤしていたひとりだったので一緒に総括してみましたが、ファンタズマ以降割とシーンやサークルから距離を取っているように見えたコーネリアスが、宇川さんや高木完さん野田努さん北沢夏音さん等々の、こういって良ければ「身内」のコミュニティによって回復を図られているというのが、良かったといえば良かった。
社会が回復する装置を準備できないのであれば、コミュニティによって担保される以外他ない訳で、そのこと自体には全く否定的でなく、ダースレイダーさんが言っていた様に持つべきものは友達だと思います。

フリッパーズからソロ、小沢健二さんの商業的成功、などを通して小山田圭吾さん自身がアーティストとして成長していく過程で起こった不幸な事件、という文脈で多くの時間語られていたように思いますが、当時(私は高校生)悪趣味露悪は普通に存在していたし、それに乗る人もいれば乗らない人もいた訳で、時代と編集者と取材対象者の共犯関係を抜きには語れない点をもって、誰も彼もこの20年でもっとやりようあったんじゃないの?という思いは拭えず、私自身としてはモヤモヤはモヤモヤのままで生きていく他ないようです。



しかし69/96がデストロイ・オール・モンスターズの借用だって今の今まで意識していませんでした!あれはカッコよかったなー。
69/96のインタビューでハードディスクレコーディングが云々と語っていたので、テクノ的ポストプロダクション主体のその後の作風に変化していく技術的契機として再度評価していきたいですね(CDあるかしら……)