「おおかみこどもの雨と雪」観てきた

@TOHOシネマズ川崎

基本的には「子供が大人になる」という成長物語と通過儀礼という普遍的かつ古典的なテーマが背骨にあって、その舞台装置として「家族」を設定したことによる、親離れ・子離れの話として観てもちゃんと成立してる。学生の花ちゃんが子供を産むことで自分が何をして生きていくのかを「決め」る(「休学」という説明はあっても「退学」という説明はなかったが)、そして二人の子供を育て上げた後、子供である雪ちゃんは人間として生きる事を「決め」て、雨ちゃんはオオカミとして生きることを「決め」る、という物語。
そこに含まれる「人間」と「オオカミ」というダブル・アイデンティティのテーマであるとか、「子育て」そのものの描写が絡んでくることで、単線的なストーリーの上に多層的なテーマが被っていて、その語り方や構造が良く(というより、分かりやすく)出来ていた。特にダブル・アイデンティティについては、例えば松江哲明キャントクの「あんにょんキムチ」とかとも比較できる重みを持った扱い方で(「あんにょんキムチ」はあくまでも一例)、誠意ある寓話の処し方として好感を持った。更に面白いと思ったのは彼らがニホンオオカミという絶滅種の唯一の生き残りであり、人間として生き、多分お母さんと同じように勉強して恋をして子供を産んで一生懸命育てるんであろう道を選んだ雪ちゃんは「種の保存(=子育て)」という観点からいうと正しい選択をしており、また雨ちゃんは雨ちゃんで「自分がなすべき事、使命」を選ぶ(キリスト教でいう「calling」?)という意味で正しい、という複雑さを同時に内包している点(そして彼らの父は大学にモグって勉強したり、引越し屋のバイトをしたり人間として生きる道を、恐らく選んでいた)。
構造的な話で言えば、花ちゃんの思い出を雪ちゃんが語るという前半から、雪ちゃんが実際に見たものの描写も含まれる後半という主観(人称)の移動(あるいは不安定さ・複雑さ)があり、その事が物語を分かり難くしているという論もあるようだが、自分は「家族」という物語の中で「世代の交代」というこれも普遍的で身近なテーマでもって全体を補完していると考える。主観が何処にあるのか、または見ている自分の経験や立場(男か女か学生か子持ちか、とか)で感情移入するポイントや見え方も少しずつ変わってくるという多面性のある作品。
あまりアニメには明るくないけれど、山の中や教室の窓ごしに見える雨粒、カーテンのゆらめき、といったCGはとても美しく、その美しさと物語のテーマのある種の身近さ、そして音楽(高木正勝さん)が相まって目頭が熱くなる瞬間もあり、映画として単純にとても楽しめた。ただ、アン・サリーさんのエンディングテーマは歌詞で語り過ぎな感じがしてちょっと。。。